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▼高校時代に"know"と"know of"の違いを学習したことはありませんか。次の(1)の会話の"know"と"know of"を見て下さい。 (1)
"know"は「直接誰かを知っている,誰かと友人である」という意味を表し,"know of"は「誰かが存在しているということを知っている」という意味です。でも,"know"と"know of"の違いを,他動詞の目的語と前置詞の目的語の違いに基づいて一般的に学習したことは無かったのではないでしょうか。今日は,(i)他動詞の目的語と(ii)前置詞の目的語の違いについて考えてみましょう。
(2)
「ドアをノックする」はknock at(/on) the doorです。Knock the doorだと「ドアを強い力でたたく」という意味になり,ドアを壊して中に入っていくような状況を想像します。 では(3)のswam the riverとswam in the riverの違いは分かりますか。 (3)
swim the riverだと「川を泳いで渡る」とか「上流から河口まで泳ぎ切る」とかの意味になりますが,swim in the riverだと「川の1ケ所で泳ぐ,川の1ケ所を泳ぎ回る」というような意味になります。 次の(4)のclimbed Mt. Daisenとclimbed on Mt. Daisenの違いはどうでしょうか。 (4)
climb Mt. Daisenは「大山の頂上まで登る」という意味になりますが,climb on Mt. Daisenはそんな意味にはなりません。climb on Mt. Daisenは「大山に登るには登るが,頂上までは登らない」場合に使います。 ▼これらの例を見てみると,次の(5)の一般化ができそうです。(Gropen et al. 1991) (5) 動詞の目的語は動詞の力を直接あるいは全面的に被る。 (5)の一般化が正しいということを次のいくつかの例で確認しましょう。まず,次の(6)を見て下さい。 (6)
(6a)は壁の前面にペンキを塗ったということ,(6b)は壁の一部にペンキを塗ったということを表します。 次の(7a)はグラスを飲み干したことを,(7b)はグラスに入ったビールを少し飲んだということを表します。 (7)
次の(8a)はスピーチの原稿を最初から最後まで読んだということを,(8b)はスピーチの原稿の一部を読んだということを表します。 (8)
次の(9a)は多くのテレビショーの台本を書いたということを,(9b)は多くのテレビショーの台本の一部を書いたということを表します。 (9)
▼今まで見てきた例は同じ動詞を他動詞あるいは自動詞として使っている例でしたが,次の(10)は名詞butterと名詞由来動詞butterを使った例,(11)は動詞peelと動詞由来動詞peelを使った例です。 (10)
(11)
(10a)と(10b)はどちらがヘルシーでしょうか。(10a)はパンの全面にバターを塗ったことを,(10b)はパンの一部にバターを塗ったということを表します。コレステロールが気になる人は(10b)の方がいいですね。 (11a)はりんごの皮を全部むいたことを,(11b)はりんごの皮を一部むいたということを表します。
(12) Bill hit at the dog. 次の(13)が犬を実際にたたいたということを表すのに対して,(12)は犬をたたこうとしたということだけを表し,実際に犬をたたいたかどうかは不明です。 (13) Bill hit the dog. ただし,verbs of cutting (cut, slash, chop, hack, ship, ...)とverbs of hitting (hit, beat, kick, punch, slap, strike, ...)は試行構文で使われますが,verbs of touching (touch, kiss, hug, stroke, contact, ...)とverbs of breaking (break, shatter, crack, crumble, split, ...)は試行構文では使われません (Pinker 1989, pp. 104~105)。 ▼動詞loadは動くもの(主題theme)と到達点(goal)を伴って表現されますが,次の(14a)と(14b)の2つの項構造(argument structure)をもっています。 (14)
(14a)と(14b)に見られる項構造の交替(alternation)は所格交替(locative alternation)と呼ばれることがあります。ここで大事なことは,(14a)がワゴンの荷台にまだ空きがあるということを,(14b)がワゴンの荷台が干草でいっぱいになったということを表しているということです (Pinker 1933, p.132)。 また次の(15a)は壁全面にペンキが塗られたことを必ずしも含意しませんが,(15b)は壁全面にペンキが塗られたことを含意します (Croft 1991, pp. 154-155)。 (15)
(15b)では,the wallが動詞sprayの目的語になっているので,sprayingという行為を全面的に受けるでしょう。それに対して,(15a)ではthe wallは前置詞onの目的語であり,必ずしもsprayingの行為を全面的に受けることにはならないのです。
(16)
動詞の力を受けるのは動詞の目的語ですが,(16a)ではスペイン語が目的語ですからスペイン語がteachingという行為を受けていることになります。つまり,スペイン語が学生のところに移動させられているのです。それに対して,(16b)では学生が目的語ですから,学生がteachingという行為を受けていることになります。つまり,学生がスペイン語を知らない状態から知っている状態に変えられているのです。 ここで注意したいのは,(16a)が学生がスペイン語を習得したかどうかについてはコミットしていないのに対して,(16b)が学生がスペイン語を習得していることを示唆するという点です。(Pinker 1991, p. 136) また,次の(17a)では,ボールが彼女の頭を越えて飛んでいっても,彼女がボールを受け損なっても構いません。また,彼女は眠っていても構いません。死んでいても構いません。しかし,(17b)では彼女がボールを受けるということが期待されていて,実際に彼女がボールを受け,手に持っているということが示唆されます (Pinker 1989, p.83; Pinker 1991, p.136)。 (17)
(18)
(18a)は他動詞移動構文で,メリーがジョンが病気したので病院に行かせたということを表します。それに対して,(18b)は所有変化構文で,医者がジョンを所有したという意味になります。ひょっとしたらメリーも医者で,別の医者にしばらく助手を貸して欲しいと頼まれ,助手のジョンを貸してあげたというような状況かもしれません。あるいはジョンというのはイヌなのかもしれません。要するに,(18b)は,Mary lent the doctor John.とほぼ同義なのです。 (18a)と(18b)の違いを踏まえて,次の(19)の2つの文の文法性の違いを考えてみて下さい。 (19)
(19b)の文脈では,they sent John to himは奇妙です。(19b)を聞いたら次の(20)のように反応するかもしれません。 (20) Oh. I thought he wanted a yard-man, not a patient. 最後に,(21)の3つの文を比較してみましょう。 (21)
(21b)と(21c)では(21a)の補文の主語が動詞findの目的語に繰り上がっています。これらは目的語繰り上げ構文(object raising construction)と呼ばれることがあります。(21c)は,個人的体験の報告を表し,例えば,実際にいすに腰を下ろして座り心地を確かめたような場面が考えられます。それに対して,(21a)は証拠に基づいた主張を表し,例えば,顧客の反応テスト(customer reaction tests)に基づいて発言したような場面が考えられます (Borkin 1984, p.79)。 (21b)はそれらの中間で,どちらの場面でも使われるでしょう。ここで注意したいのは,the chairが動詞findの目的語になっている(21c)に,主語が目的語に直接的に体験するという含みがあるということです。
動詞の目的語は動詞に隣接します。動詞の目的語を動詞から離すことは自然ではありません。例えば,(14a)のhayや(14b)のthe wagonを文末に移動することは自然ではありません。 (22)
このことにも動詞とその目的語との間に密接な関係があるということが反映しています。 出来事を音声形式で実現するときに,動作が直接的,全面的にあるものに及ぶことを(動作を表す)動詞と(動作を被るものを表す)目的語(被動者patient)をじかに隣接させることで実現していると考えられます。そう考えると,前置詞は動詞と名詞句が音声形式上隣接しないことを保証するバッファーになります。このような考え方を出来事あるいは意味と形式の同型性(iconicity)と呼ぶことがあります。(5)の原則の背後には,実は,出来事あるいは意味と形式の同型性が潜んでいたのです。 「とても長い話」というときに「なが~い話」と伸ばして言うことがありますが,これも同型性の一例です。 今日の話は,動作を直接的,全面的に受けるものが動詞の目的語として実現されるという話でしたが,この考え方自体は非常に自然で,説得力があるのではないでしょうか。
京都教育大学教授 岡田伸夫 「英語の教え方研究会 NEWSLETTER 8」より |