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▼これから3回にわたって、近年、脚光 を浴びている言語獲得の論理問題(logical problem of language acquisition)、特に、こどもは「これこれの文は文法的でない」という情報 ―否定証拠(negative evidence)― を与えられないにもかかわらず、過剰に生成される文法的でない文をどのようにしてそぎ落とす(unlearn)のかという問題について考察します。この問 題は、Bakerのパラドックス、否定証拠欠如の問題、そぎ落としの問題などと呼ばれることもあります。テーマは第1言語(母語)の項構造の獲得ですが、 TEFLに役立つ内容もたくさん出てきます。 話の中で具体的に取り上げるのは、次の(1a)と(1b)の対に見られる与格交替(dative alternation)です。 (1a) John gave the painting to the museum.
というより、次の(2b)・(2c)に見られるように、この三つの項のうちのどれかが欠けると動詞putの文は完成しません(例文の文頭の*はその例文が非文法的であることを示します)。 (2b) *He put the book. 動詞がどのような項を従えるかは必ずしも自明ではありません。たとえばdineとdevourとeatはいずれも「食べる」という意味をもっていますが、次の(3)-(5)の各対に見られるように、被動者を従えるか従えないかの点で異なります。 (3a) John dined. (4a) *John devoured. (5a) John ate.
こどもは質的に劣り、量的に乏しい資料に基づき、文法的な文を無限に生成する規則体系を獲得します。その際に問題になるのは、こどもがどのようにして過剰生成をそぎ落とすかということです。まず、こどもが、prepositional dative(=PD)の(1a)、次の(6a)、(7a)、(8a)とこれらに対応するdouble-object dative(=DOD)の(1b)、次の(6b)、(7b)、(8b)を経験したとしましょう。 (6a) Bill told the story to them. (7a) John showed the card to Alan. (8a) Sue built the house for us. さらに、こどもが、(1)のa、bと(6)-(8)のa、bの交替をとらえるために、次の(9)の変形規則(transformational rule)あるいは(10)の語彙余剰規則(lexical redundancy rule)を獲得すると仮定してみましょう。
変形規則(9)は、構造記述の第5項のNP(名詞句)を第3項のNPの左側に移動し、to/forを削除することにより、PD構文をDOD構文に変えます。語彙余剰規則(10)は、後ろにNP1 to/for NP2を従えることができる動詞を、後ろにNP2 NP1を従える動詞に変えます。 こどもが(9)あるいは(10)の規則を獲得したとすれば、次の(11a)、(12a)、(13a)のPD構文が使われることを経験した段階で、(11b)、(12b)、(13b)のDOD構文も使われると類推するでしょう。 (11a) We sent a letter to him. (12a) Mary taught Spanish to the students. (13a) Sally baked a cake for her sister. (11b)、(12b)、(13b)は文法的ですから、(9)あるいは(10)の規則はこどもが経験していない文法的な文をつくり出す能力を説明することができます。しかし、問題は、(9)あるいは(10)の規則には過剰生成が伴うということです。こどもは、たとえば次の(14a)、(15a)、(16a)が使われることを経験すると、(14b)、(15b)、(16b)も使われることを類推するでしょう。 (14a) John donated the painting to the museum. (15a) Bill reported the story to them. (16a) Sue constructed the house for us. しかし、(14b)、(15b)、(16b)は文法的ではありません。こどもは(14b)、(15b)、(16b)が文法的でないということをどのようにして知るのでしょうか。「親から教わる」と言えれば話は簡単なのですが、すべてのこどもが親から(14b)、(15b)、(16b)が文法的でないことを教わる ―否定証拠 (negative evidence)をもらう― とは考えられません。
第1に、親はこどもが文法的でない発話をしても、多くの場合、それらが文法的でないことに気がつきません。また、それらを誤解することもほとんどありません。親がこどもが発話した文法的でないDOD構文に不承認、矯正、反復、言い直しで反応することはない ―直接的にしろ間接的にしろ否定証拠を与えることはない― ということを示す調査もあります(Gropen et al. 1989)。 第2に、こどもは、自分の発話が親に誤解された、あるいは理解されなかったということがわかったとしても、自分の発話のどこに間違いがあったのか、たとえば発音が悪かったのか、語の選択が不適切だったのか、文法上のミスをしたのかを唯一的に特定することができません。 第3に、こどもは親から否定証拠をもらっても、それを即座に取り入れて文法的な形を使うというわけではありません。次の(17)と(18)のやり取りはよく知られている母と子のやり取りですが、こどもが母親に与える否定証拠に最後まで「抵抗」している姿を示しています(もっとも、(17)のやり取りはこどもが母親に与える明示的な教示を容易に受け入れないということも同時に示しています)。
第4に、仮にこどもが否定証拠を取り入れて文法的でない発話を直すことがあるとしても、「文法的でない発話をそぎ落とすには否定証拠が必要である」ということにはなりません。どの大人も次の(19)が文法的でないことを知っています。 (19) *I murmured John the answer. しかし、すべての大人がこどものときに(19)を発話し、親に(19)が文法的でないことを教えられ、(19)をそぎ落としたとは考えられないでしょう。
(20) こどもはある動詞がある特定の項といっしょに使われている例に出会えば ―肯定証拠(positive evidence)が与えられれば― その動詞がその項といっしょに使われるということを獲得する。動詞がある項を伴って使われている例に出会わなければ ―肯定証拠が与えられなければ― その動詞がその項を伴って使われることはないと考える。 しかし、Baker流の保守的な(conservative)仮説はこどもの言語使用の実態と実験結果 に照らしてみると正しくありません。こどもの自然な発話の中には、大人の発話の中には出てくるはずのない次の(21)のような発話が出てきます。 (21a) I said her no. 新造語を使った実験でもこどもが過剰生成することが実証されています。Gropen et al. (1989)の実験では、まず、実験者がおもちゃを使ってこどもに、たとえばクマがブタをゴンドラに乗せてキリンに届ける場面 を演じて見せながら、新造語pilkを使ってThe bear is pilking the pig to the giraffe.と言います。次に、こどもにトラがネコにウマを"pilking"している場面 を演じて見せて、"What's the tiger doing with the cat?"と問います。すると、こどもは、「旧情報は前に、新情報は後ろに」という談話における語順の原則に従い、DOD構文を使って"Pilking him the horse."と答えます。しかし、こどもがまわりの大人のことばの中でpilkがDOD構文で使われる例に出会ったことは一度もありません。
(23a) 広域規則(broad-range rule)
(22a)(i)はあるものをA地点からB地点へ空間移動させる意味構造を、(22a)(ii)はある人に何かの利益を供与するためにあるものに働きかけるという意味構造を、(22b)はある人にあるものを所有させる意味構造をそれぞれ表します。広域規則は(22a)の意味構造を(22b)の意味構造に、また、その逆に(22b)の意味構造を(22a)の意味構造に変えます。連結規則は(22a)(i)と(ii)の意味構造をPD構文に、(22b)の意味構造をDOD構文にリンクします。語彙意味構造、広域規則・狭域規則、連結規則、項構造の関係を表示すると、次の(25)になります。
京都教育大学教授 岡田伸夫 「英語の教え方研究会 NEWSLETTER3」より |