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ついでですが、動詞differに続くのは、普通、from xとthan xだけで、to xは続きません。また、differentの場合同様、from xは英米両国で普通に使われますが、than xが使われるのは主として米国です(『ジーニアス英和辞典第3版』)。
以下、まず、なぜthan xが続いてもよいのかを説明し、次に、なぜto xでもよいのかを説明します。 from xは「xから」という意味です。次の(4)は、「恵美が車で京都から名古屋まで行った」ということを表しますが、京都は移動の出発点、起点を表しています。
Y is different from x.とかY differs from x.は、次の(5)に図示されるように、yがxから離れていく、あるいはyがxから離れたところにあることを表すのでしょう。
次に、than xがどういう意味を表すかを考えてみましょう。次の(6)をご覧ください。
2人の身長を図示すると次の(7)になります。
(7)の2つの図を見てみると、five centimeters taller thanというのは真樹の頭のてっぺんが真美の頭のてっぺんから5cm上にあるということを表しているということがわかります。ということは、than xのxは何かがxから離れていく((6)では真樹の頭のてっぺんが真美の頭のてっぺんから離れていく)ときの起点を表していると考えられます。 than xのxが起点を表すということをもう少しいろいろな角度から見てみましょう。(6)の英文と日本文を比べてみるとわかりますが、英語のthanは日本語では「より」で表されます。日本語では「より」が比較対象を表すのです。 おもしろいことに、日本語の「より」は、比較対象だけではなく、起点を表すこともできます。次の(8)の日本語をご覧ください。
(8a)は1963年に映画化されたイアン・フレミング(Ian Fleming)の長編小説From Russia with Loveの日本語の題名です。(8b)は久米正雄という作家の小説の題で、昭和9年に映画化されました。戦後間もなくリメークもつくられました。(8c)は荀子(じゅんし)のことばで、弟子が師を超えたときによく使われます。(8)の3例の下線を施された「より」はいずれも起点に付いています。「より」は英語のfromに相当します。日本語で「より」が比較対象に付くと同時に起点にも付くという事実は、比較対象と起点に何かの共通点があることの証拠です。大雑把に言うと、どちらも移動の起点です。ちなみに、(8c)の「藍より出でて」の「より」は起点を表します。英語では起点にはfromを付け、比較対象にはthanを付けることによって両者を区別しますが、from xとthan xが表す意味に共通点が存在する(あるいはfrom xとthan xの認識の過程に共通点が存在する)ことが、different from xに加えてdifferent than xが使われる根拠であると思われます。 別の証拠を見てみましょう。英語にはother than xという一種のイディオムがあります。次の(9)を見てください。
otherにはthanが続くのですが、『ジーニアス英和辞典第3版』は、昔の英語ではthanの代わりにfromも用いられたと注記しています。Oxford English Dictionary (OED)もotherにfromが続く例を古い英語から引用しています。次の(10)はOEDがあげている19世紀末に書かれた英語です。
The Project Gutenberg eBookの1冊、Edward Bellamy(1850-1898)作のDr. Heidenhoff's Processの中には次の文があります(<http://www.gutenberg.org/files/7052/7052.txt>)。
(11)ではother thanではなく、other fromが使われています。 これらの事実を総合すると、thanがfrom同様、起点に付くということは認めてよいだろうと思います。そうだとすればdifferent from xの代わりにdifferent than xが使われることも納得がいきます。 次に、どうしてdifferentがto xを従えるかについて考えてみましょう。上の(4)のto Nagoyaは恵美がどこに到着したかを示しています。to xはものの移動の到着点、着点を表します。着点を図示すると次の(11)になります。 (11) (5)のfrom xと比べると、(11)のto xがfrom xと正反対の移動方向を示していることは一目瞭然です。He came from Tokyo.(彼は東京からやって来た)とHe came to Tokyo.(彼は東京にやって来た)は状況が全く違います。どうしてdifferent from xの代わりにdifferent to xが使われるのか考えてみると実に不思議です。 しかし、言語には本来起点を表す表現を使うべきところに着点を表す表現を使うという現象がときどき見られるのです。 日本語の「主語+目的語+動詞」の構文は、動詞が動作動詞(dynamic verb)であれば、通例、「主語が目的語に対して何らかの力を加える」という意味を表します。目的語を主語に代え、動詞の態(voice)を変えると受動文ができます。次の(12)を見てください。
受動文で動作主(agent)を表す表現には格助詞の「に」が付きます。でも、格助詞「に」は、次の(13)に見られるように、本来は移動するものの着点を表します。
着点を導く「に」が受動文の動作主を導くのは、少し考えてみると、奇妙です。「主語+目的語+動詞」の構文では、主語から出てくる行為が目的語に到達する ことを表します。つまり、主語が行為の起点なのです。この構文を受動文にしてもそのことは変わりません。そうであれば、受動文の動作主に付くのにふさわし い格助詞は、着点に付く「に」ではなく、起点に付く「から」であると思われます。事実、動作主に当たる表現に格助詞「から」が付く例があるのです。次の(14)をご覧ください。
(14)は受動文ですが、これを能動文に変えるとどうなるでしょうか。次の(15)ではなく、(16)ができるでしょう。
(16)は文法的ですが、(14)の意味ではありません。(15)では「山田さん」が主語であり、動作主です。しかし、動作主に「に」が付くとすれば、(15)の受動文は次の(17)になるはずです。
しかし、(17)の文はあまり自然ではありません。同じ格助詞「に」が付いていても、「山田さん」は動作主を、「森さん」は着点を表します。両者は意味が異なりますから、(17)は理屈の上では悪いところはないはずなのですが、実際にはあまりよくありません。でも、「山田さん」に行為が発生するところに付く格助詞「から」を付けると、自然な(14)ができます。また、「山田さん」に「によって」という表現を付けて、「その情報が山田さんによって森さんに送られた」とすると(17)よりよくなります。 また、「愛する」とか「尊敬する」とか「嫌う」などの感情を表す動詞を含む能動文を受動文に変えると、感情の持ち主は格助詞の「に」と「から」のどちらを伴うこともできます。次の(18)と(19)のaとbの2つの文を比べてください。
動作主から動作が発するという前提に立てば、受動文で動作主に付く格助詞は「に」ではなく、「から」のはずです。しかし、実際には、受動文で動作主に付く 一番普通の格助詞は「から」ではなく、「に」です。このように、言語には本来は起点で表すべきものを着点で表すという一種の逆転現象(起点の着点による置 き換え)が見られるのです。 釣りの好きな方はご存じだろうと思いますが、「釣りはフナに始まり、フナに終わる」と言われるこ とがあります。フナはどこにでもいるし、すぐ釣れます。釣りを始めたころ、初めて釣るのはフナだし、年を取ってからゆっくり釣るのもフナです。「釣りはフ ナに始まり、フナに終わる」はこのことを述べたものだと思いますが、この文章の中の「フナに始まり」という言い回しも、本来は「フナから始まり」とすべきではないかと思われますが、ここにも起点の着点による置き換えが見られます。「~に始まり、~に終わる」という言い方は決まり文句になっていて、実際、よく耳にします。2001年1月には中谷彰宏・加藤鷹共著の『キスに始まり、キスに終わる。』という書名の本も出版されました。 また、動詞の「由来する」を使うときにも起点となるものに「から」と「に」を付けます。次の(20)の「から」と(21)の「に」を比べてみてください。
文化庁が本年(2006年)7月26日に発表した「国語に関する世論調査」の報告によりますと、激しく怒ることを意味する慣用句の「怒り心頭に発する」に ついて、4人に3人(今年2~3月、16歳以上の男女3,652人を対象に調査し、2,107人が回答した)が「達する」と誤って使っているそうです。同 庁国語課は「世代を問わずあまり使われなくなっているためではないか」と言っています。ただ、「世代を問わずあまり使われなくなっている」ことが「怒り心 頭に発する」という慣用句の定着度を弱めていることは確かでしょうが、そのことは、なぜ「発する」が使われなくなり、「達する」が使われ出したのかを直接 的には説明することができません。「頭に来る」という似た意味をもった言い回しがオーバーラップしているということも影響しているでしょうし、「発する」と「達する」が語頭の[h]音と[t]音の違いを除けば、音声的に同じということも影響しているでしょう。それから、もう1つ大きい理由があるだろうと思います。本来、格助詞「に」は着点に付くものなので、「怒り心頭に」に続く動詞が何であったか記憶があやふやになると、「心頭に」は着点を表しているので、それに続くものなら「達する」がよいと暗黙のうちに判断したのではないかと思います。 今まで言ってきたことをまとめると、次の(22)になります。
differentから派生した語にindifferentというのがあります。意味は「人が…に対して無関心な、無頓着(むとんじゃく)な、冷淡な」です。この語は、differentと違って、後ろにfrom xではなく、to xとかtoward xとかを従えますが、indifferentの意味を考えると納得がいきます。
英語のdissimilarの使い方に一言触れておきましょう。dissimilarはsimilar同様、後ろにto xを従えることもできますし、from xを従えることもできます。次の(24)のdissimilar to xと(25)のdissimilar from xを比べてみてください。
dissimilarがfrom xとto xの両方を従える現象は起点の着点による置き換えでは説明できないだろうと思います。というのは、dissimilarという語の成り立ちを考えると、もともとfrom xを従えるとは言えないからです。dissimilarをsimilarの派生語として取り、not similarの意味で取れば、similar同様、to xを続けるでしょう。dissimilarをdifferentと同義であると取ればfromを続けるというのが妥当な説明ではないかと思います。 最後に、動詞differがwith xを従えることがあるということに触れてこの稿を終えたいと思います。人と意見が異なると言うときには、英米両国でfrom xとwith xが使われます。
人と意見が違うということを表すときにwith xが使われるという事実は、日本語から見ると不思議なことではありません。日本語では次の(27)のように言うことができますが、ここで格助詞の「と」が使われていることに注意してください。
日本語の助詞「と」と英語のwithは「同伴」の意味を表すことがあります。
(28)に見られるwithと「と」の対応に立脚すると、(26b)のwithは(27)の「と」から自然に導き出されます。 大阪大学教授 岡田伸夫 2006年8月17日 |